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アクティブな人見知り

いろんな所に凸したレポート

資本は死なない

オキュパイ・スクール二限目、講師は花房太一氏。

アートコメンテーター。キュレーション、批評をコンテンポラリーアート中心に活動されてる方です。



『21世紀の資本に勝つ芸術革命論序説』

現代人の問題は大きくふたつしかない。

『国家と資本』

今回は資本についての講義。
まとめてたら、めちゃくちゃ長くなったよ。

資本についての最も正確な分析をした学者、カール・マルクス氏。

マルクス氏の資本論を元に、その上でどのような革命が出来るかを導き出します。

21世紀の資本、今大流行のトマ・ピケティ氏。
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ピケティ氏の最も有名な図。G…経済成長率よりも、R…資本収益率の方が常に大きいという事を示す。
言葉が難しいだけで、資本を持っている人の方が、資本を持っていない人よりも儲かる。

資本家=資本を持っている人
労働者=資本を持っていない人

ピケティ氏のグラフから読み解く。
需要なポイントを掴むには出来るだけ大枠を掴む事。簡単なことほど確信を突いているという事が多い。

全体に共通する事。
どのグラフもゼロ以下になる事がない。
全体的には増加傾向にある。

ピケティ氏のグラフが示している事。

『資本は死なない。』

今日最大のポイントは資本は死なない。これを最も詳細に示しているのがマルクス氏。
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簡単にまとめつつ書きます。



商品からまず考え始めましょう。

商品のふたつの価値。

『使用価値と交換価値』

椅子について考える。

椅子には人間の身体を支えてくれるという機能があります。言い換えれば椅子を使用している。これが使用価値。

その椅子を二枚の布団と交換したとしましょう。この時、椅子の交換価値が二枚の布団であると表現します。
他の物とも交換出来ますね、その椅子を500個の卵と交換したとします。すると椅子の交換価値は卵500個と言える事になります。

資本主義社会の中で重要なのは使用価値ではなく、交換価値です。

交換価値において

『椅子=布団二枚=卵500個』

同じ価値であるという事が出来るようになる。

交換価値を決定している物は何か?

ひとつ目に効用価値論。
重要である物には多くを支払う、逆に重要でない物にはあまり支払おうとしない、あるいは全く支払おうとしない。

しかし効用価値論には問題が。
水。生きていくために非常に高い効用がある。しかし水の交換価値はとても低い。水道を捻ると蛇口から水が出てくるのが日本では当たり前。

逆に効用に比べて価値が高い物。
ダイヤモンド。生きていくためには全く不必要にも関わらずとても高い交換価値がある。

アダム・スミス氏が価値は効用によって決定されるのではないと結論付けます。



では何が価値を決定するのか?

スミス氏は価値を規定しているのはある商品を生産するのに必要とされる労働の量であると考えました。

これを労働価値論と言います。

これに対する疑問。
労働と労働時間に比例して、労働時間と価値が比例していない物がある。

『芸術作品』

労働価値論に依拠した場合には芸術作品は除外されてしまう。

『ほとんどの経済的生産物は大量に生産される生産物である。しかし芸術作品は唯一無二の物として生産される。そして買い手が芸術作品に支払おうとする価格は、芸術の労働支出は全く関わりのない愛好家価格である。』

一旦、芸術作品については保留で議論が進みます。

資本の本質。
労働価値論では商品の使用価値は労働量によって決まる。



これに対する疑問。

椅子を作ることについて考える。
素人が椅子を作った方が時間がかかる。
つまり労働量としては、より多くが必要。
しかし熟練の労働者が作ったら、より短い時間、より少ない労働で作れてしまう。

すると、
価値…素人の作った椅子>熟練の職人が作った椅子

となりそうです。これに対してマルクス氏は、

具体的な労働時間ではなく、一般的、平均的な労働時間によって価値は決まる。

国家レベルでの交換を考えてみれば個別の違いは重要ではなく、平均的な数字が重要。
資本を考える場合には、どうしても国家という前提が必要になってくるが、一旦我慢して議論は先に進みます。

ここまで、商品といったときに具体的なものを想定したと思います。
しかし労働価値論に基づくのであれば、サービスという労働も考えなければなりません。

物とサービスの違いは単に生産と消費の時間関係の違い。
物が生産されればその後、消費されるまでに時間がかかります。

例えば車。
車が生産されたとしてもそれが消費者に届くためには1ヶ月くらいかかるということがよくあります。

一方でサービスでは生産と消費の時間が重なっている。

例えばタクシーの運転手。
乗客はタクシーの運転手が運転している間にその労働を消費しています。

スミス氏とマルクス氏の労働価値論の証明の仕方の違い。

スミス氏…苦労した量だけ価値が上がる。個人の合理的熟慮によって測られる。

マルクス氏…証明すること自体を退ける。どのようにして個人の労働が社会的労働の構成部分となるのかを解明すべき。

価値論は個々の交換関係が生産に必要な労働量によって規定されるという事を証明する必要がなくなります。



労働と価値について考える。

労働はふたつの価値を生む。

『具体的労働と抽象的労働』

マルクス氏は使用価値を生む労働を具体的労働、交換価値を生む労働を抽象的労働と呼びます。

資本の本質を捉えるのに重要なのは交換価値の方でした。

従って労働については抽象的労働が重要であるという事になります。

抽象的労働とは?

マルクス氏…労働が抽象的労働として現れるのは交換においてのみである。

抽象的労働が交換価値を生む。
定義から考えて抽象的労働が価値を持つのは交換においてのみである。



実は、これまで一度もお金という言葉を使ってきませんでした。

いよいよお金の話に入る準備が出来ました。

マルクス氏によって初めて貨幣の神秘が理解出来るようになります。

また椅子の例から考えてます。

椅子=布団二枚=卵500個

と交換出来る物でした。
さらにTシャツ5枚と交換出来るとしましょう。
その他にも色々な物と交換することが出来ます。
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この色々な物と交換出来る椅子をお金というものに置き換えた物が貨幣です。

貨幣の形は社会的な習慣によって作られています。
かつては塩や金、銀などでした。現在は電子マネーなんて物もあります。
形はありませんが全て貨幣と呼べます。



何故貨幣が存在出来るのか?

マルクス氏詩人ぽいから凄く簡単に言うと、

先に貨幣があったのではない、商品保持者は考える前に行動していた。その行為は結果として貨幣をもたらさざるを得なかった。そうしなければ商品はおよそ価値として互いに関係し合う事がなかった。交換と貨幣の出現は同時であったという事。

はい、長くなったけど、資本の話まであとちょっとだよ!



貨幣の機能について考える。

貨幣は価値尺度として機能します。
貨幣は労働の交換価値を表している物。

貨幣は流通手段として機能します。

『G-W-G』

W=商品。G=貨幣。

貨幣は現実な貨幣として機能します。
要するに使われる。

貨幣は現実的貨幣として蓄積され、支払い手段、世界貨幣としても機能します。
貯金されたり、商品の間を繋ぐメディアになったり、国家間でのやり取りに使われたり。

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貨幣≒動物。

私達はライオン、トラ、ウサギ、犬、猫をイメージする事が出来ます。
ライオンを描けと言われれば描けるでしょう。

動物を描けと言われたらどうでしょう?
途方にくれるしかありません。
動物をイメージする事が出来ないのは動物なんていう物が存在しないからです。

ところが同じような機能を持っている貨幣はイメージ出来るだけでなく、実際に形として存在する動物みたいな物です。
様々な商品をまとめて100円と言う事が出来ますね。
100円均一にある商品は全部100円です。
全部100円という事は商品の交換価値を表しています。全ての商品の価値を抽象化した物が100円玉です。

色んな動物を抽象化した物が動物ですね。

ところがその100円が100円玉として存在している。

これは犬や猫を引っ包めた動物が犬や猫と並んでいるのと同じ事になるんです。
だからちょっと気持ち悪いのかもしれません。



ここまでは物々交換と同じレベルで考えてきました。いよいよ資本の登場です。

『G-W-G』

貨幣が商品に変換され、また貨幣に変換される。
実はこれだけでは資本は生まれません。

『G-W-G'』

G<G'のときに利益を生み出します。
この利益を剰余利益と呼びます。

『資本=G-W-G'』

元々の価値量を増やす目的を伴う交換の連鎖によって初めて資本の運動が始まります。

資本は単なる価値ではなく、自己増殖する価値なんです。

G-W-Gの運動、欲求を充足するための、満たすための、使用価値の取得を目指していました。

万人は他者の欲求を満たす事で自分の欲求を満たすという交換を表しています。

欲求の充足にではなく、価値の増殖に向けられているのが資本主義的商品生産。
欲求充足は資本の価値増殖に合致限りで副産物的に生じているに過ぎない。

使用価値は決して資本家の直接目的として取り扱われるべきではない。

『価値はそれが価値であるが故に価値を生む。』



資本について再度の疑問。

どのようにしてG-W-G'という運動は可能なのか?

あるいは剰余価値はどこから来るのか?

答えは労働力です。
労働ではないことに注意して下さい。

労働は労働力を使用する事で初めて存在します。

労働する能力だけが売られるのであり、労働が売られるのではありません。



労働力が売買されるためのふたつの条件。

第一に自らの労働力に対する自由な所有者として振舞うことが出来る人々。

つまり労働力を売買する人がいなくてはいけません。
奴隷や農奴は法権利的に自由な人格がありませんが労働者は自由です。
労働者は奴隷ではないという事です。

第二に労働者が生産手段を所持していない場合のみ、つまり所有から自由な場合のみ彼らは労働力を売ることを強制されます。
資本がない場合のみ労働を売るという事です。

以上から資本主義社会には所有者と自由な労働者という階級が存在する事が明らかになります。

さて、労働力の価値はまず労働の再生産に必要なだけの価値です。

従って労働力の生産に必要な労働時間は生活手段に必要な労働時間に帰着する。

すなわち労働力の価値は労働力の所持者の維持に必要な生活諸手段の価値である。

例えば明日も労働するためにはご飯も食べなくてはいけません。睡眠も必要です。

つまり衣食住が最低限必要です。

このために1日5時間の労働時間が必要だとします。
その上で1日8時間労働した場合の残りの3時間が剰余価値となります。

これを資本家が搾取しています。
資本家が悪者だという事ではなく、あくまで資本家は資本の代理人として剰余価値を吸い上げているに過ぎません。

このようにしてG-W-G'として利益を生み出し続ける運動としての資本が理解出来ました。

これを一言で言えば、資本は増え続ける。つまり、

『資本は死なない。』

詳しく知りたい人はマルクス氏の本を読んでみてね!



まとめに入るよ。今回のテーマ、

『21世紀の資本に勝つ芸術革命論序説』

何世紀であろうが、資本の本質は変わりません。

では、この不死の資本に勝つ芸術とはどのような物でしょうか?

まず、芸術も死なないというテーゼを出しましょう。

モナリザを例に考えます。

モナリザが価値を失うという事が考えられるでしょうか?

モナリザダヴィンチ氏の作品ではないと判明したらどうでしょう?

それでもモナリザの価値は揺るぎないと考えます。

モナリザが500年以上人間に愛でられてきた歴史があります。
それがひとつの事件で一気にひっくり返るとは到底思えません。

少なくともモナリザの価値がゼロになることは考えられない。

ではモナリザが焼けてしまったらどうでしょう?

確かに、モナリザは交換価値を失います。
物がないのだから何物とも交換出来ません。

しかしモナリザは死なない。

モナリザは人類の歴史の中に燦然と輝き続けるに違いありません。

例えば、批評の形で、例えば写真で。

あらゆる形で歴史的に言及され続けるに違いないのです。

むしろ消失した事がその価値を高めるかもしれません。



では、モナリザのような芸術の価値とは何なのか?

その価値の源泉は人類の再生産です。

芸術の価値は現代においては趣味の問題です。
現代アートを考えてみればわかりやすいと思います。

例えば後ほど登壇されるじゃぽにか先生の作品は現代においては価値が定まっていません。

しかし、じゃぽにか先生の作品が500年間保存され、多くの人に見られる事になったらどうでしょうか?

じゃぽにか先生の作品は莫大な価値を生み出す事になります。
もちろん後世には評価されず、無価値になるかもしれません。

それは再生産された人間達が決める歴史的価値によります。

私達を含めて人間は資本の如く、誰の意思にもよらず、あるいは神の意思によってと言ってもよいかもしれませんが、無情に再生産を強制されています。

生まれるというのは私達の意思ではないという事ですね。

この運動が芸術の価値を創造していると考えられます。

つまり人間の歴史が芸術の価値の源泉なのです。
古い物にはそれだけで価値があります。

芸術は人間が作り出した物、全てを価値として吸収します。

例えばインターネットにある情報革命。
芸術の価値を高める事に起用しています。

インターネットによって世界中の作品が見られるようになり、その価値は全体として膨大に膨れ上がりました。

多くの人に知られる、あるいは見られる事によってその価値を高めているのです。

芸術は資本主義社会の中で商品として流通しているのではないかと考える人もいます。

つまり売買されている。

しかし死なない事を本質とする芸術はむしろ資本の再物象化であると言われなければなりません。

よって人間が参与出来る物の中で唯一芸術のみが資本主義に対抗出来るのです。

ちなみにもうひとつ対抗出来る物は自然なのですが、我々には手のつけようがないのは3.11のことを考えてみれば明らかです。



資本は死なないという事をマルクス氏が明らかにしました。

今、私達が明らかにするべきは

『芸術も死なない。』

事です。

私達は死なないと決めた。
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『WE HAVE DECIDED NOT TO DIE.』

芸術革命とは死と決別した私達が人間として自らを創造する事なのです。