しずかちゃんとジャイ子と狂う権利
引き続き、ろくでなし子氏と柴田英里氏の対談。
ろ…芸術だから許されるのか?みたいな言い方をされて、困るんですけど、そう言ってる人達の芸術っていうのは、美術館とかで飾ってあって、何とか賞とか貰って、有り難く拝みながら見る物みたいな、芸術とはそういう感じ。
っていう発想だから。
そういう人達にとっては私がやっている事は、その人達の、お芸術には入らないんだなとは思うんですけど。
やっぱり芸術とは何だろうってその物自体を考える事も、ちょっとそこで思考停止してるんだなぁって。
柴…そうですね。
それは、予備校教育とかも凄く関係があって、要はそういうろくでなし子氏の表現をこれは芸術じゃないからオレらは知らないみたいな、そういった観点って、やっぱりその、美大の入試のデッサンと実技以外の事は、もう、なんて言うか、芸術ではないような、芸術の本質って、創造だとか、こう、なんて言うか世の中に意見を提示する事。
ろくでなし子氏の作品っていうのは意見の提示が凄くあると思うんですよ。
それはコロコロコミック的な面白さだけではなくって、それをまた別の見方をすると、今の私達の2000年以降のバックラッシュ、強い世界って、女性に対する正規判が、コロコロコミックのような、男性、男子の少年漫画みたいな規律で動いているんじゃないの?
それをろくでなし子氏の漫画っていうのは、逆説的に突きつけるような。
ろ…なるほどねー。
柴…要は、しずかちゃんみたいなね。
女の子で許されるのは、お風呂を覗かせてくれるとか。
ろ…ジャイ子みたいなのは必ずいて、どっちかなんだよね。
女の子はね。
柴…そう、さっきちょっと重複するかもしれないんですけれども、フェミニズムアートの歴史で考えて、ジュディー・シカゴ氏やハンナ・ウィルケ氏と、ろくでなし子氏の違いが笑いっていうのは、今の社会の中で何故必要かというと、その真綿で締められるように、表面的には男女が平等になっている建前がある中で、悲しみや怒りみたいなのをフェミニズムとして打ち出した時に、今まで若い世代の女性は女性が悲しかった歴史も、権利がなかった歴史もないにも関わらず、女はこんなに苦しんで来たんだって事を言われたら、私、凄い幸せなはずなのに、私を不幸扱いしないでよって、そういう拒否反応が出る事ってあると思うんですよ。
なので、凄くバカバカしい笑いっていうので、凄くフェミニズムを無意識に避けようとしている若い女の子達も敷居が凄く低くなって、入りやすい。
フェミニズムに自覚的じゃない人も巻き込みやすいというのと、もうひとつ、自分の身体性に悩んで、ペシンスティック、痛みを感じている女性達も、こんなバカバカしいと思ったっていいんだって、青天の霹靂みたいな衝撃を受けた人だっていたと思うんですよ。
ろ…へぇ。
柴…だってね、自分が凄く悩んで悩んでいた事が、あっ、これ大した事なくね?みたいに、思えるそんなバカバカしい力がまんこちゃんだったり、マンボートだったりにはあると思うので。
ろ…確かに。
あの最初のデコまんという単行本を出す時に、私は全てをノリで生きて来たんで、漫画家になって、仕事がどんどん減って来て、体験物漫画だったら枠が入りやすいから。
体験物、性的な体験物漫画の方がより載りやすくて、自分の赤裸々な話とかを見せていく過程で、まんこの整形手術なんてあるんだ、面白そうと思って、半分ネタで、これでまんこの漫画家っていう面白ポジションが持てるかもぐらいの感じでやったのに、なんかそれだと、女性向けのエッセイだから、女の子に共感されない、もっと悩んだ程にしろ、じゃないと単行本出さないと言われたんで、仕方なく、物凄い悩んでいる人の程で描いて、で、結局売れなかったんですけど。
その責任誰も取ってくれなくて。
でも一旦そういう本が出てしまうと、私が凄く悩んでいるかのような、捉えられちゃってて、最初話を合わせてたんですけど、ちょっとこれはマズイなと思って、ある時から言うようにはなったんですけど。
今回、本が金曜日さんから出たので、それを機に本当の事を説明しておこうと思って描いたんですけど、やっぱりなんか整形手術をする人は悩み過ぎてやってるとか、人の目を気にし過ぎてやっているっていう思い込みが凄く強いんですけど、逆に言えば、自分の美意識だけが強過ぎる人の方が結構やっていて、例えば肛門の形とかを整形する人もいるんですけども、そんななんか誰も見ないようなところも本人の美意識で許せないからやってる。
例えば彼氏に見られたらヤダとか、そういう理由じゃないんですよね。
柴…そうなんですよね。
それも本当にフェミニズムの問題のひとつで、ペシミズム、痛みに回収し過ぎる、要は女性が抑圧されて来た歴史、人間扱いされて来なかった歴史っていうのがずっとありまして、それはヒステリーだとか、サディストの女性は人間じゃないみたいな、精神病だとか、あとはアリストテレス氏なんかは、女性の唯一の美徳は忍耐である。
それはエリザベート・バダンテール氏での、プラスラブ、母性本能という神話の終焉、1981年。
ろ…アリストテレス氏が?
柴…アリストテレス氏は、ギリシャの哲学者なんですけども、それをエリザベート・バダンテール氏、フランス人で、母性愛について凄く論じている哲学者で凄く面白いんですけども、後はナオミ・ウルフ氏も美の陰謀、女達の見えない敵、彼女はアメリカのフェミストなんですけども、やっぱり女性の抑圧されて来た歴史を痛みとして歴史化しているけれども、全然それは最初として打ち出す必要があったっていうのは、人間扱いされていなかったからなんですよ。
精神病だとか、病気扱いされているから、女性も人間である事の為に打ち出していたけども、今、じゃあ今回のこれから必要になって来るのって、人間には狂う権利があると思うんですよ。
ろ…うん。
柴…あの、キチガイになる権利だってあると思うんですよ。
だってねぇ、狂う人だっているんだから、その肯定的に狂うという事を捉える考え方だってあっていいと思う。
ろ…なんか今、凄いポジティヴな気分になった。
キチガイと呼ばれて。
狂う権利があっていいの。
一旦区切り、狂う権利。
珍しい言葉が出て来ましたね。
今まで生きて来て、この主張は初めて聞いた(笑)
続きます。