アクティブな人見知り

いろんな所に凸したレポート

紙のメディアの可能性

オキュパイ・スクール四限目、石丸元章氏。
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今回のテキスト、土木建築系総合マガジン、ブルーズ・マガジン。
以前書いたこの記事の雑誌。
 

求ム現場職人!

 
石丸氏が3人で作り上げた雑誌。
 
 
 
今、色んな物がメディアになります。
オキュパイ、これもメディアです。
以前、インターネットがない時代、スマートフォンがない時代であれば、授業等は比較的クローズなメディアだったんですが、今は例えばTwitterとかブログとかを通じて空間と時間が=メディアになっていると言えます。
だから比較的メディアは作りやすい。
誰でもメディアが作れる。ひとりひとりがライターで編集者で発信者でレポーターで。
 
私は紙でメディアを作りました。
 
なぜ紙なのか?
 
今、雑誌はどんどん売れないと言われています。
実際雑誌はなくなってきています。
カルチャーマガジンは寂しい限りです。
 
何故なくなったのか?
 
これに答える形の講義。
 
 
 
ブルーズ・マガジン、創刊00号。
テスト号、3000部。
 
次の本流通は12000部が確定。
もうひとつ決まりかけているのを含めると、16000〜17000部になります。
 
それはどこか?
東京の床屋さん、東京の理容組合。
6000店、全部に置かれる事になります。
 
紙のメディアはもうダメだ、そんなもん作ったってダメに決まってる。
 
言われました。
だけど挑戦の仕方によってはまだ可能性のあるメディアなんじゃないか、紙というのは、意外に。
 
石丸氏が、ある挑戦を1年前から始めた事について。
 
 
 
紙のメディア、どうしてダメになっているのか?
 
雑誌を作るきっかけになったのはTwitterです。
石丸氏のところに水道屋さんの34歳の若者の社長からメールがありました。柳氏。
 
雑誌を作りたい、どういう雑誌を作りたいか聞いてくれないか?
 
最初に連絡があったのが去年の2月。
 
それから1年ちょっとしか経ってないけど、10000部のメディアが作れるという実態がここにあるんです。
 
お金どうしよう、人材はどうしたらいいんだろうという解決策をひとつひとつやってきました。
 
 
 
出版に関係ない、34歳の若者のです、水道屋さん。
 
後のブルーズ・マガジンの発行人。
 
僕、土建業やってます。土建の社長をやっていますというメールでした。
 
ふーん、ホントかウソかわからない。
 
その若者のは自分のところにニッカーボッカーズで、来ました。
 
へぇーと思いました。
普通、雑誌を作りたい、メディアを作りたい、自分の話を聞いて欲しい。
そういう人はもっと、なんていうのかな、ニッカボッカで来るとは思わなかった。
 
意表を突かれたと同時に関心しました。
 
彼のアピールの仕方、非常に魅力的な若者でした。
勢いが凄い。
 
彼は自分の身の上を話し始めました。
 
20代の時に東京に来て、23歳のときにはライブハウスでパンクスをやりながら、仕事として水道工事をやっていたんです。
 
友達と水道工事の現場に入っている時に、その時のまとめていた親方が事故を起こしてしまい、まとめ役がいなくなってしまった。
誰かがまとめないと仕事がなくなっちゃうって時にお前がやれよっていう事で、まとめ役になってひとつの現場を仕上げました。
 
それから10年の間に彼は色んなことがあったんだと思います。
お金の事とか。
 
今年商6億の土建会社を経営出来るようになりましたと挨拶をしました。
 
ふーん、と思いました。
年商6億、これが大きいのか小さいのか自分にはさっぱりわかりません。
 
皆さんにも、よくわからないと思います。
後に調べると上からスーパーゼネコンからあるわけですから、そんなに巨万の富を持っていて社長の道楽でやるような規模の会社でもない。
 
 
 
では何故、彼が雑誌が作りたいのか?
 
自分達は今まで誰にもスポットを浴びるような捉えられ方をしていない。
素敵なカッコイイ新建築が出来てそこでレセプションが行われ、その設計者は非常に華々しく扱われる。
そしてそのレセプション会場には色々な煌びやかな人達が来る。
各界の名手、セレブ。
 
だけれども何故、コンクリートを打った自分達というのはそこに対してひとつも賞賛されないのか?
 
 
 
自分のことをよく考えたそうです。
 
確かに自分達は汚れている。
電車に乗って座ると泥が付いているから、サッと避ける人がいる。
 
人から受ける視線を彼らは十分知っています。
しかし彼らはそれに対して大きく声を出して言う事はありません。
 
だけど自分達が街を作っているんだという自負があります。
 
その自負が理屈ではなく、現場でひとつ5人くらいのチームで働いています。
 
そこにカッコイイ先輩、親方がいる。
 
先輩の技術が凄い、その時の筋肉の盛り上がりが憧れる。
若い時に見たあんな筋肉の盛り上がった男になりたい。
 
こういう自分達が見ているカッコイイという瞬間、輝いているという瞬間、例えば真夜中にアスファルトを敷いています。
アスファルトは最後、敷いた後にモァモァっと熱いから湯気が上がります。
夜中に巨大なライトで照らしているところにアスファルトからモァモァっと湯気が上がる。
映画みたいでカッコイイ、凄いカッコイイんだ!
 
でも、なんでみんなカッコイイってことに気付かないんだろう?
だけど、自分達は気付いてはいるけど写真に撮る事はしていない、文章に書く事もしていない。
 
それは写真を撮る事も、文章を書く事も、詩を書く事も自分達には別で難しい。
 
 
 
彼は長い間、そういう自分が見てきた世界、瞬間の絵や映像や人物、あるいは人物が持っているストーリー、これは自分の心を打っているんだから仲間の心も必ず打つはず。
そして人々の心を打つに違いないと思っていたと。
 
 
 
石丸氏は大変感銘を受けました。
 
彼のいっていることが正論だから心を打ったんじゃない。
具体的だったから。
自分達が何がカッコイイと思うか。
 
具体的な話が心に響きました。
 
すぐにひとつのメディアになるなと思いました。
 
 
 
今巻頭グラビアで男の人を立てている雑誌というのはプレジデントくらいで殆どありません。
大会社の社長が出てる場合があったりとか、あるいは任侠雑誌です。
親分がうぉぉとか言ってる。
 
親方カッコイイとかそういうのやりたいねと話が盛り上がりました。
 
 
 
どういうメディアがいいだろう?
 
紙なのか、ネットなのか?
 
紙というメディアは今でも期待しています。
過去の物だと思っていません。
 
雑誌がなくなった理由というのは雑誌及び雑誌に書かれていた内容の情報とか批評とかコラム、特集、スクープ性のある物が読者から飽きられてしまったとかつまらないと思われたからではないと思います。
 
ひとつには雑誌が売れなくなったという事と、面白くなくなったというのは別物で、今の流れとしては、情報をお金を払って買うというシステムには賛同出来ないけれども、面白い物は欲しい。
 
しかも、ネットから情報は沢山引けます。
 
ネットから面白い情報、あるいは飛び抜けて有益な情報、そういう情報を繋ぎ合わせてひとつの発見とかを創り上げる能力は誰しもが身に付けている物ではありません。
 
その代わりをするのが雑誌で編集者やライター、そういった人達が様々なところに取材したり話を聞いたり写真を撮ってきたりして、バラバラだった物を紙面の上にひとつのこういう世界なんじゃないか実は。
バラバラに見えている物で、この角度から見るとこういう世界が見える、こういうストーリーが見える。
 
それを作るのが雑誌の役割。
 
誰しも欲しい、見たい。
 
 
 
風潮としてそこに高いお金、700円とか800円とか。
払うというのは、どうしても全体の自分の生活の経済面のバランスからありえない。
スマホの値段も、かけ放題とか色々あるけど、雑誌一冊でその値段はありえない。
 
 
 
じゃあ、なんで一冊でその値段になるのか?
 
それは、都心の一番良い場所に、デカいビルを建てます、出版社は。
 
そしてデカいビルに立派なフロアを作ります。
 
その立派なフロアに編集者をいっぱい呼びます。
 
そういう中で物を作って、外注したり、物を作る。
 
その作った物を、流通、配本の会社に乗せて配本の会社にお金がいって、今度は書店さんにいって、書店さんにもお金がいく。
 
そうすると800円とかになっちゃう。
 
800円になっちゃうとそれはみんな買ってくれない。
 
 
 
とするならば、自分達が考えたのは雑誌は作りたい。
作ったら必ず読んでもらう。
 
だけど800円になっちゃうと買ってはくれない。
 
そしたら制度を設計し直そう。
 
土建屋さんと中身のことはもちろん、どういう風に誰に届ければいいか徹底的に考えました。
 
どうすればいいのか?
 
それがフリーマガジンというひとつの回答でした。
 
 
 
3月の段階ではとにかく紙でやりたい。
彼はそれに拘りました。
 
ひとつの理由としては現場の職人さん達は、今でも大体ガラゲーなんですよ。スマホ持ってない。
 
現場はお昼ご飯も取らずに交代で取ったりする。時間をとにかくまとまってホッとする時間、実はあまりない。
 
ネット見てる暇なんてないからみんな見ないんだと。
みんな雑誌というか紙だと便利なんだ。
 
後ろのポケットにクシャッと丸めて入ったってパッと見て捨ててもいいし、尻の下に敷いて座布団みたいにしてもいいし、弁当広げるのに使ってもいいし、絶対に紙なんだ!
 
それで紙ということでスタートすることにしました。
 
 
 
決まった事は、
 
フリーマガジン、タダで出す。
紙で出す。
流通の制度を設計し直す。
 
もうひとつ大切なのは、これでどうやって収益を上げて継続的に出し続ける事が出来るのか?
という事。
 
全体運営の制度を設計し直さなければならない。
 
 
 
出版社に入って、あるいは企画を持ち込んで通れば要するに広告がいくら入ってとか、どういう配分で製作費がいくら出るとか定価はいくらでとか、出版社が作った制度に乗ることになります。
 
だけれども、ご存知のように出版、今非常に苦しい。
苦しい理由を雑誌が売れなくなったからとか本が売れなくなったからとか、と、いうような言い方にしてるけど、自分達はそうは捉えませんでした。
 
売れないんじゃなくて、売れる価格帯が設定出来ない。
 
出版社の運営の制度そのものが、社員数とか給料とかそういうものが恐らく制度的に疲弊してて立ち行かない。
 
その出版社の制度の中で今までの流通を通して作ると、良い物が商品として上手くいかない。
 
 
 
で、出版社を作る事になりました。
 
自分達の制度設計で箱作ってみましょうか。会社を作るという事を考えました。
 
そこでひとつ発案もありました。
 
新しい会社を作るにあたっての補助金制度が結構この国にはあります。
 
新しい挑戦をするには色んな情報を知っておいた方がいい。
 
中小企業庁とか厚労省の管轄であるんですけど、いろんな制度がある。
 
そういうのに詳しいベンチャーの人とか詳しいから上手く利用するんでしょう。
 
あの潤沢な資金を持っている電通でも、何か小さい新しい事業補助金が通りそうな事業っていうのは補助金申請してるんですよ。
 
 
 
情熱はある、志もある、自分の中の正義もある、大義もある。
 
でもそこに必ずしも満足しちゃいけない。
 
物凄く慎重に色んな制度とかを見て、どういうところからお金というのが出て来るかもしれないというのを探さなければいけない。
 
 
 
中小企業庁というところがあって、審査、保証人協会がやっている審査に通ると無担保、無保証人でお金を貸してくれる。
 
それは会社じゃないと応募出来ない、個人じゃ出来ない。
 
会社をきちんと作っていれば、その会社の運営資金として、申し込めばあるいは審査に通るかもしれない。
 
 
 
会社を作るって事はひとつのメディアを作るっていう事です。
 
そこで32歳の映像編集経験者の雨森氏に声をかけます。
 
柳氏を社主にして、後に感電社という会社を設立します。
 
彼の世界観を自分達の製作論、創作論とぶつけてメディアを作るという時に多くの人は、
 
『いいねー、土建会社をスポンサーにして、会社作ったんだねぇ。』
『土建会社見つけてお金出して貰って君いいとこ見つけたね、どうやって口説いたの?』
 
と。違うんです。そうじゃない。
 
 
 
会社を作る段階で、まずは柳氏の私財、800万円で登記しました。
 
でも知っての通り、会社っていうのは通帳に資本金が入っていれば、それで登記を済ませれば、一週間後に引き上げちゃってもいいわけです。
 
見せ金という言い方もするけれど、いいわけです。
 
最初、柳氏のお金で登記しました。
登記をした後、会社という枠組みを決める奮闘がまずあります。
 
保証人協会の審査に通るために、事業計画書を書く。
 
知っての通り、出版社には銀行はまずお金を貸しません。通常。
 
何故貸さないか?
 
ギャンブル性が高いとか色々あるんです。
 
持ち出しのギャンブルをするんじゃない。
柳氏におぶさったギャンブルをするんじゃない。
 
 
 
企画その物をゼロから作るマジックみたいな物を作ろうと3人で考えたわけです。
 
これは、出版ベンチャーである。
出版社を、編集プロダクションを作るんじゃない。
人不足が非常に甚だしいといわれ社会問題になっている日本の土木建築業界に何故、土木建築業界に脚光を当て、そこの労働人口がわーっと増えるような、スポットを浴びることで活気付いて、人が流用するような、大きな、土木建築業界その物の優勢と関わるようなことを目的とする会社です。
出版社です。
 
 
 
そして書類が4〜5月に出来てきます。
 
いよいよこれを提出すれば、お金が降りるという事になれば、最初800万積んだけど、それはすぐ引き上げればいいんだから、銀行から無担保、無保証人で3人の人間にまとまった1000万近いお金が貸し出されて、そこで自分達は勝負出来る事になる。
 
こんな事が出来るのかって事が出来るんです。
だから諦めちゃいけない。
 
本当に真剣になると何か見つかるかもしれない。
 
 
 
いよいよ本格始動間近となったのが、去年の5月12日。
本格的に忙しくなるのは2週間後、6月だろうというところで…
 
 
 
その間に石丸氏、ドラッグをやっちゃいます(笑)
精神病院の閉鎖病棟に入ってしまいます(笑)
 
 
 
閉鎖病棟3ヶ月、長かったです。
病室には鉄格子が入っていました。
見上げても鉄格子が入っていました。
 
入院して3週間くらいすると、飛鳥氏が入院して来ました(笑)
隣の部屋にはノリピーの旦那がいました、そういう状況。
 
そのときに、どうなんだろう。
閉鎖病棟にぶっ込まれるくらいだから2週間で相当ぶっ壊れています。
メロメロ、どこかわからない。
 
自分の中では、あれはどうなっちゃうんだろう、惜しかったなぁとか色々思います。
 
そうすると柳氏から手紙が来るわけです。
 
『大丈夫、オレは待っている。一緒にここまで繋げてきて、もう、ここまで来てるのに、ここでひとりだけ抜かして進めたりしない。全てを止めて待っている。』
 
感激しました。
 
あるいは、へぇー、これは出版社だったらこうはいかないだろうなぁと。
 
出版社で本の企画立ててて、自分だけそうなったら、やっぱりねぇ、丁寧な言葉だけど、
 
『お引き取り願えますか?』
 
自分もそう言われたってそういうもんだろうなって思っています。
 
今までも数々のお引き取り願えますかと言われた事があります。
 
お引き取りした経験もあります。
 
 
 
病院に入って待ってますと来た時に、もうひとり、雨森氏からやはり手紙をくれました。
 
もういい加減にして下さい。
何度裏切れば気が済むんですか?
少しは人の気持ちも考えて下さい!
 
そういうのが3日に一度来ました。
 
雨森氏の手紙が来ると送り主を見ただけで読まずに捨てるようになりました。
 
 
 
そういう事があって、退院したのが去年の8月28日。
そして8月28日から取材とかを一から始めて、今これ。
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来月連休後に次の号出ます。
ページが見本の00号で28ページですけど、01号は48ページ。
 
部数16000。東京の理容組合が付いた。
 
まだまだ解決しなければならない制度上の問題とか色んな難しい問題があるんだけど、まだまだ解決しなきゃいけない。
 
何故なら制度その物を作っているから。
制度を動かし始めてみると色んなところにミスがあったり、配管やってるような物ですよ。
ここをこう動かすとこうなって、こうなって、頭の中で作ってるんだけど、どこからか水が漏れちゃう。
 
 
 
漸く始まりました。
また次回のオキュパイの時に。
 
 
 
ってことで講義終了。
うん、まだまだ聞きたかった。
特にどうやって利益出すのか?
 
それはまた次回があればって事で。
 
 
 
感電社
 
 
ダルク