炊き出しとホームレス
働かざる者食うべからず。
皆さんはこの言葉をどう思いますか?
勿論、受け手の数だけ解釈があるでしょう。
先日、次の予定までちょっとした時間が空いて、駅ビルの中で時間を潰していた時の出来事。
ひとりでぽっーんとスーパーの近くのベンチに座っていたんですね。
スマホ弄りながら。
そんな時、ひとりの女性が、
『この瓶固くて開かないから開けてくれませんか?』
ロクに女性の顔も見ずに蓋を開けて渡しました。
ここから物語が始まります。
『これ美味しいから食べてみませんか?』
普通ならお礼とかそういう意味を含めての事なんだろうけど、その瓶はパテなんですね、多分サーモンのペーストとかの。
で、スプーンもなくその開いた瓶を差し出してくる女性。
その時に漸く女性を直視します。
浮浪者でした。
差別表現になるという事ならばホームレスという表現。
いや、要らないです。
そう言って瓶をそのまま戻します。
『美味しいのに…』
そしてその場を去ります。
そのまま多目的トイレの中に。
ベンチとの多目的トイレの距離は目と鼻の先。
変わった体験したなくらいでそのまま座ってました、まだ時間あったし。
で、そこで終わればこのブログは書いてなくて。
多目的トイレから出て来る女性。
『これ美味しいんだよな。』
実にナチュラルに幾つかの商品を掴んでそのまま多目的トイレに戻る。
…マジかよ。
万引きの瞬間目撃。
ここでふたつの選択肢。
①通報する。
②無視する。
貴方ならどっちですか?
一般論なら犯罪。感情論なら生きる為に盗んだのかもしれない。
葛藤。
で、店員に報告っていう選択を取りました。
その後どうなったのかは知りません。
すげーモヤモヤする!
って事で今回、炊き出しに凸してきたよ。
正義とか偽善とかそういうのじゃなくて、単に現実を直視したかった。
早速某NPO法人と連絡取ります。
春の訪れを感じる日。
炊き出し参加。
午前11時。
ベテランと呼ばれるNPOメンバーと初参加のボランティアが半々くらい、約30人。
毎回200〜300人前くらいの料理を作る。
大体今日は220人位じゃないかっていう予想。
米研ぎから始まり、野菜切り、食器洗い、ゴミ捨て。
実に一般的な料理となんら変わらない。
問題はその量。
米56リットル、野菜100キロ超え、鶏肉10キロ。
…米ってリットル表記する事あるんだ。
煮込み。
料理作りつつ色んな人に質問。
Q.どんな人が炊き出しに来る?
Q.年齢は?
A.高齢者が多いけど炊き出しだけに関して言えば割と若い人も来る。
Q.見た目は?
A.割とその辺のおっさんと変わらない。普段ホームレスとすれ違ってもわからない人も多いはず。むしろイメージの臭いのある人とかの方が絶滅危惧種。
Q.何故?
A.我々のような団体が衣服を提供していたり、洗濯の出来るスペースを解放したりしているから。
Q.食材の入手は?
A.お店に並べれなくなった商品や並べれない商品を格安で買ったり提供して貰ったりしている。
Q.どの位の人が来る?
A.やる炊き出しだと200〜300人。3.11の後は人が多かった。
Q.場所の許可は取っているのか?
A.取っていないが区も認めている形(暗黙)。
Q.区も認めているなら何故告知を大々的にしない?
A.街からの苦情が凄い。他の団体からも。
Q.この活動を続けて変わったと感じた事は?
と、他にも色々と聞きつつ話しつつ。
賄いの時間。
今回は焼きそば。
その後、作業したり、お茶したり。
そして初めての人の為に勉強タイム。
とあるDVDを見せられます。
子供とホームレスの触れ合い。
子供が夜回りする。
結構衝撃。
えっ?それはいいのか?っていう先入観がありましたが。
ホームレスの人の仕事とか。
ダンボール売ったり、区の特別清掃やったり。
何故ホームレスになったのかとか。
映像の人は元消防士で火事で亡くなった人を踏んでそれが嫌で仕事を辞めてというインタビューがありました。
そこに至る理由は様々。
差別の話も。
酔っ払いにダンボールハウスを傘で突かれる、燃やされる、エアガンでキリスト状態で1メートルの距離から撃たれる。
…重い。
このビデオには差別をせずに色んな人と触れ合って欲しい、理由を知れば子供も納得する、ホームレス狩りを止める為の教育、等の目的があります。
これを見てホームレス狩りが無くなった地区もあるそうです。
でも、夜回りをしている子供がホームレス狩りをしているメンバーだった例もあるようで。
自分が抱えている問題の方が大きかったら…
日本の闇深い…
誰もまさかクーラーボックスの中がギッシリと詰まった白米だとは思うまい…
完成。
さて、舞台変わって某公園に移動。
炊き出しをやるというのは口コミで拡がるそうです。
ホームレスが思いっきり女性に絡んでそれを慣れた感じで止めるスタッフ。
…凄いな、これ自分だったら止めれるかな。
公園では炊き出しをやる前に、コーヒーの配布、マッサージ、衣服の提供、相談等いくつかの事を行います。
衣服の提供とかこの洋服の溢れた時代のひとつの可能性だなと勝手に感じつつ。
公園では初参加のボランティアに向けて公園ツアー等。
この活動の説明、歴史なんかも。
時間が経ち炊き出しスタート。
凄い行列。
入れながら、
『大盛りで!』
『汁無し。』
『もっと入れてよ、ケチだなぁ。』
『1回しか来ないから目一杯。』
とかね、サービス業も驚きだよ。
お礼とかは殆ど聞かなかったな。
交代中に自分でも頬張る。
トータル226人。
2週目、3週目の汁がなくなってふりかけご飯まで含めると493人に提供。
主催者が、
『一杯でも茶碗より多い訳、それを三杯って食べさせ過ぎかなって毎回思う訳。かと言って足りないとか行き届かないとそれは並んでくれたのに悲しい。』
やってみて、どうだったって聞かれて、確かに汁は思ったよりも早くなくなりましたよねって言ったら、
『やっぱり増やすか。』
って言ってた時にはね、この人漢だなって。
そして片付けして終了。
午後9時。
丸一日かけて凸してきた訳ですが、イメージと事実が違う部分は多かった。
善意だけじゃやれないし、善意よりもお金の方が救える部分は多い、でも善意がなければ続かない。
何を持って路上生活脱出となるのか?
一度落ちたら戻るのは難しいそうです。
イジメのある社会より外で自由の方が合っているという人が数多くいるのも事実。
上手く楽しくホームレスやってる人がいる事も事実で、仕事があればホームレスが減るのも事実。
炊き出しは人を路上から戻す事は出来ないけど、落ちた人を生き伸ばせる事も事実。
勿論クズみたいな人もいます、人間だもの。
そういう意味では誰にでも路上生活の可能性はある。
百聞は一見に如かず。
そんな体験でした。